常体と敬体。まぜても不自然ではない場合もあると思う。

文章を書く時、常体(だ、である)と敬体(です、ます)をまぜてはいけないというのが基本だといわれる。統一するのが常識とされる。
しかしですねえ(←早速、統一を無視)、どちらかに統一して書いていても、たとえば常体に統一していたとしましょうか、途中のある部分では敬体で書いた方がしっくりくる感じがする場合があるんですよ。
常体で書き始めたけど、この部分は「だろう」より「でしょう」の方が自然だなあ、とか、しょっちゅうあります。

では、世の中にあふれている日本語の文章(くだけた感じの柔らかい文章は除く)は常体と敬体に統一しているものばかりなのでしょうか。実際、注意して読んでみると、常体と敬体がまざっている文章はけっこうあります。さすがに半分ずつごちゃまぜというのは滅多にありませんが、1割くらいが違う体(たい)というのは珍しくありません。

常体と敬体は、場合によっては混在させてもいいという指針ができるといいのにね。

余談。クイズの、いわゆる「パラレル」の問題文で、「~といいますが、」はよく見かけるが、「~というが、」は皆無に等しい。

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