日本サッカー殿堂(2015年第12回)

※答えはすべて、第12回日本サッカー殿堂に委員会推薦掲額者(特別選考)で選出された人物です。

Q.

【1456】慶應義塾体育会ソッカー部で1931年より主将を務め、関東大学リーグと東西大学1位対抗での初優勝(1932年)に貢献し、監督としても関東大学リーグと東西大学1位対抗で4連覇(1937~1940年)を成し遂げている、ドイツ代表の初代監督も務めたオットー・ネルツの指導書に大きな影響を受け、ワンタッチパスを多用するスタイルを標榜したサッカー指導者で、戦後は初代審判委員長を務め、1953年から1957年までは国際審判員だったのは誰?

【1457】1965年にスタートした日本サッカーリーグ(JSL)において、監督として東洋工業を4連覇(第1~4回)を含むJSL最多の5度の優勝(1965~68、70年)に導き、更に天皇杯も3度制覇(1965、67、69年)している、元サッカー日本代表選手で、1979年、ゴールキーパー出身として初の日本代表監督に就任したのは誰?

【1458】三菱重工業サッカー部で中心選手として活躍し、1967年から1975年までは監督を務めた、元日本代表選手で、サッカー指導者を退いてからは三菱自動車に移籍し、後に欧州三菱社長にも就任、2000年に退職してからは神奈川県葉山町でコーヒーショップ「パッパニーニョ」(名付け親はフランツ・ベッケンバウアー)を経営しているのは誰?

【1459】1962年早稲田大学卒業後はヤンマー(ヤンマーディーゼルサッカー部)に所属し、1965年にスタートした日本サッカーリーグ(JSL)でもプレー。三菱重工との試合で片山洋を蹴ってしまいJSL退場者第1号になってしまったというエピソードも持つ元サッカー選手で、1967年から1978年までヤンマーの監督を務め、JSLにおいて174戦で93勝を記録した最多勝監督であり、また、大阪サッカークラブの社長としてセレッソ大阪のJリーグ加盟、昇格に尽力したのは誰? 2006年、鈴木昌(まさる)の後任としてJリーグの第3代チェアマンとなりました。

A.

【1456】松丸貞一(まつまる・ていいち)

【1457】下村幸男(しもむら・さちお)

【1458】二宮寛(にのみや・ひろし)

【1459】鬼武健二(おにたけ・けんじ)

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