曲はどうなの?

人の運命というのは分からないものです。
もし、高橋大輔がソチ五輪の日本代表選手に選ばれなかったら、今回の事件のようなゴーストライター問題が発覚しなかったかもしれません。
フィギュアスケートの選考も批判が多いみたいですし、もし、高橋大輔が代表にならなかったら、佐村河内守も墓場まで秘密を持って行けたかもしれません。いや、以前から週刊文春など、雑誌記者に目をつけられていたから、いずれ発覚したかな。

ゴーストライターがいけないんなら、芸能人が出す本だって、実は本人以外の別の著者がいることも多いんだからよくないんじゃないの。まあ、タレント本の場合、もちろんすべてではありませんけど、ゴーストライターが書いていることは公然の秘密だから発覚したって何の問題もないか。

今回の佐村河内守【さむらごうち・まもる】(読み方が難しい)の場合、耳が聞こえないというのもウソだといわれているから(代理人は耳が聞こえないのは本当だと言っていた)、「タレント本のゴーストライター」問題と同じだというわけにはいかんか。

佐村河内守のゴーストライターだと告白した新垣隆【にいがきたかし】(これも読み方が「あらがき」か「にいがき」かややこしい)によると、佐村河内は譜面が書けないそうです。

「耳が聞こえない天才作曲家」から「耳は聞こえるけど、譜面は書けない人」へ。
イメージ急落です。

これで新垣さんには作曲の依頼がたくさんくるんじゃないの。だって、『バイオハザード』とか『鬼武者』とか高橋大輔の曲とかを作曲した人なんだもん(多分)。
でも、そうなることはないでしょう。「全聾の人が作曲」という要素も込みで評価されたり依頼されたりしてたんですから。
でも新垣さんがウィキペディアの項目にもなったのは今回のことがあってからでしょう。(想像です)

それにしてもウィキペディアの編集は早い。佐村河内氏のページを見ると、

「作曲家とされていた日本の人物。自称聴覚障害者。」
「ジャンル 無し(かつては クラシックとされていた)」

何者でもなくなってしまいました。

でも、広く世間に知られる有名人にはなりました。昔、某所のクイズで「佐村河内守」が答えの問題が難問として出題されていたことを思い出しますよ。

それにしても、楽曲そのものの良さについてはどうなんでしょう?
全聾の人が作ったわりには良い曲なのか、それとも、そんなこと関係なしに素晴らしい曲なのかどっちなんでしょう? まあ、曲によりけりだから一言では言えんか。

これから先、雑誌等で佐村河内守が作曲したとされる曲を褒め称える記事を書いたことがある評論家等は、批判されたり、嗤いのネタにされたりすることがあるかもしれません。でも、記事を書いた人にとっては「そんなん知らんがな」って感じですよね。ゴーストライターの存在を知らなかった人を責めることはできません。
昔、藤村新一という人が引き起こした旧石器捏造事件が発覚した時、かつて藤村氏を礼賛する記事を書いたことがある人が批判されていましたが、それはおかしいですよ。捏造してたなんて普通想像できませんもん。
オウム事件の頃も、過去に麻原彰晃と対談したことがある教授等が批判されていたけど、事件が明るみになっていない時に対談したことの何がいけないんですか。批判される筋合いなんかありはしませんよ。

さて、今日はこれくらいにしておこう。それにしても、タイトルと中身があってないな。(適切なタイトルが思い付かなかったのです)

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