ナチス関連の人々

クイズネタの宝庫とはいえ、だれがなにやらごっちゃになるジャンルですな。

ヒマができた時にボチボチと記述を増やしていこうと思っております。

§ 人物とその関連事項

青文字はニュルンベルク裁判の被告人。

【ヨーゼフ・ゲッベルス】

  • 1927年ベルリンで『デア・アングリフ』紙(「攻撃」の意)を創刊。
  • 宣伝省初代大臣。
  • 1945年ヒトラーの遺言により首相に就任。
  • 妻マグダと共に自殺。

【カール・デーニッツ】

  • 第1次世界大戦からUボートを指揮。
  • 複数のUボートで敵輸送船団を攻撃する「群狼作戦(ウルフ・バック)」を考案。
  • 1943年海軍総司令官に就任。
  • 1945年ヒトラーの遺言により大統領に就任。

【マルティン・ボルマン】

  • 弟アルベルトはヒトラーの秘書を務めた。
  • 副総統ルドルフ・ヘスの個人秘書兼官房長。
  • 1945年ヒトラーの遺言によりナチ党担当大臣に就任。
  • ニュルンベルク裁判では行方不明のまま死刑判決。

【ハインリヒ・ヒムラー】

  • 1929年親衛隊(SS)の親衛隊全国指導者に就任。
  • 1933年ダッハウ強制収容所の設置を発表。
  • ゲシュタポの指揮権をゲーリングから引き継いだ。
  • 1936年全ドイツ警察長官に就任。
  • 1945年リューネブルクの収容所で青酸カリ自殺。

【テオドール・アイケ】

  • 精神病院にいるところをヒムラーに救い出され、ダッハウ強制収容所の所長に抜擢。
  • 第3SS装甲師団 トーテンコップ(「髑髏」の意)の師団長。
  • 部下のリヒャルト・リッペルトにエルンスト・レームの射殺を命じた。

【ラインハルト・ハイドリヒ】

  • “金髪の野獣”。
  • ヒトラー、ゲーリング、ヒムラーとともに「長いナイフの夜」を主導。
  • ヴァンゼー会議の議長を務めた。
  • 1941年ベーメン・メーレン保護領(ボヘミア・モラヴィア保護領)副総督就任。
  • 1942年エンスラポイド作戦によって暗殺された。

【ヘルマン・ゲーリング】

  • 第1次大戦ではエースパイロットとして活躍。
  • 航空相、空軍総司令官、四カ年計画の全権責任者を歴任。
  • 第2次大戦前にはヒトラーの後継者に指名されていた。
  • ボルマンに謀られ、ヒトラーに反逆していることにされた。
  • 戦争末期にはすべての官職を剥奪された。
  • 死刑執行直前に青酸カリ自殺。

【ルドルフ・ヘス】

※アウシュヴィッツ強制収容所の所長を務めた「ルドルフ・ヘス」とは別人。

  • ヒトラーの『我が闘争』の口述筆記をエミール・モーリスとともに務めた。
  • ナチ党の副総統を務めた。
  • 1941年単独飛行でイギリスへ渡り和平交渉を試みたが失敗し拘禁された。
  • シュパンダウ刑務所で自殺したことになっている。

【エルンスト・レーム】

  • ボリビア政府に招かれ軍事顧問を務めた。
  • ヒトラーに呼び戻されボリビアから帰国し、突撃隊(SA)幕僚長に就任。
  • 「長いナイフの夜」で射殺された。(レーム事件)

【アルフレート・ローゼンベルク】

  • 1893年ロシア領レヴァル(現在のエストニアのタリン)生まれ。
  • リガ、モスクワで建築学を学んだ。
  • ディートリヒ・エッカートの死後、ナチ党の機関紙『フェルキッシャー・ベオバハター』の編集長に。
  • 著書『二十世紀の神話』。

【アドルフ・アイヒマン】

  • ヴァンゼー会議の議事録「ヴァンゼー文書」を作成したとされる。
  • アルゼンチンに逃亡し、リカルド・クレメントの偽名で自動車会社に勤めていたが、1960年モサドに拘束されイスラエルへ連行された。
  • エルサレムで行われた裁判で「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」と言った。
  • テルアビブ郊外のラムラ刑務所で絞首刑に処された。

【ヨアヒム・フォン・リッベントロップ】

  • 英独海軍協定や日独防共協定の締結に尽力。
  • 1938年ヒトラー内閣の外務大臣に就任。
  • 独ソ不可侵条約、日独伊三国同盟に調印。

【パウル・フォン・ヒンデンブルク】

  • 第一次世界大戦の「タンネンベルクの戦い」では第8軍司令官として参謀長のエーリヒ・ルーデンドルフとともにドイツ軍を指揮しロシア軍に大勝利。
  • ヴァイマル共和制第2代大統領。
  • ヒトラーを首相に任命した。

§ ニュルンベルク裁判の被告人

※上記の6名を除く。

《編集中》

【参考】ニュルンベルク裁判の被告人24名。

≪死刑≫ 12名

マルティン・ボルマン、ハンス・フランク、ヴィルヘルム・フリック、ヘルマン・ゲーリング、アルフレート・ヨードル、エルンスト・カルテンブルンナー、ヴィルヘルム・カイテル、ヨアヒム・フォン・リッベントロップ、アルフレート・ローゼンベルク、フリッツ・ザウケル、アルトゥル・ザイス=インクヴァルト、ユリウス・シュトライヒャー

≪終身刑≫ 3名

ヴァルター・フンク、ルドルフ・ヘス、エーリヒ・レーダー

≪有期禁錮≫ 4名

禁錮20年・・・バルドゥール・フォン・シーラッハ、アルベルト・シュペーア
禁錮15年・・・コンスタンティン・フォン・ノイラート
禁錮10年・・・カール・デーニッツ

≪無罪≫ 3名

ハンス・フリッチェ、フランツ・フォン・パーペン、ヒャルマル・シャハト

≪その他≫ 2名

グスタフ・クルップ(高齢などの理由により訴追免除)
ロベルト・ライ(自殺)

§ その他のナチス関連人物

《編集中》

§ 反ナチスの人物

【ゲオルク・エルザー】
ミュンヘンのビアホール「ビュルガーブロイケラー」でヒトラー爆殺未遂事件を起こした家具職人。
1945年4月、ダッハウ強制収容所内で処刑された。

【ハンス・ショル】
妹のゾフィー・ショルとともに「白いバラ」(白バラ抵抗運動)の主要メンバー。

【ヘルムート・イェームス・フォン・モルトケ】
ドイツ帝国初代参謀総長ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ(大モルトケ)の甥の孫にあたる。(大モルトケは、ヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケ(小モルトケ)の伯父)
ブレスラウ大学、ウィーン大学、ベルリン大学で法学と政治学を学んだ法律家。