ウィキペディアは悪くない。

クイズの問題を作成する時は裏取りが必要だ。別の表現で言えば、2種類以上の資料を照らし合わせて、誤りがないように作問しなければならないということ。

ところで、ウィキペディア(Wikipedia)は間違いが多いという意見をよく見かける。クイズ界でもウィキペディアについて批判的なことを言う人がいる。

しかし、ウィキペディアが他の資料と比べて特別誤りが多いかというと、そんなことはない。ネット上の他の多くの記事と比較して、ウィキペディアは正確さにおいて決して劣っていない。それどころか、書店に置いてある事典類と比べてもそれほど遜色ないのではないか。ましてや辞典や事典ではない普通の本なんかだと、事実関係がいい加減なものが多々ある。

通常、クイズを作成する時は、裏取りを兼ねて2種類以上の記事に目を通すわけだが、その中にウィキペディアが入る場合が多いだろう。
そして、ウィキペディアが誤っている場合もあれば、他の記事が誤っている場合もあるだろう。
ウィキペディアに特別誤りが多いと感じたとしたら、それは錯覚である。なぜなら、ウィキペディアは参照する回数が他の資料よりも格段に多いので、それに比例して見つかる誤りが多くなるからだ。
「ウィキペディア、プラス、記事A」「ウィキペディア、プラス、記事B」「ウィキペディア、プラス、記事C」・・・という具合に参照していったとすると、記事Aの誤りを発見したとしても、記事Aに誤りが多いとは感じない。記事Aはその時だけしか読まないからだ。
ウィキペディアはあらゆる問題を作る時に読むのだから、誤りを発見する機会が多くなる。それだけのことだ。

そもそも「ウィキペディア」を批判するのはおかしいのではないか。なぜって、誤りがあった場合、それはその記事を編集した人に落ち度があったということなのだから。
誤りが掲載され得るシステムになっているから悪いという意見もあるかもしれないが、ウィキペディアには「書きかけの項目です」「出典が明記されていないか不十分です」「大言壮語になっています」「特筆性に欠ける~」「雑多な内容~」「要出典」「誰によって?」などなど(←記憶のみで書いたのでテキトーです)、問題のある記事には注意書きのようなものが提示してあるので、あまり良くない記述を鵜呑みにしてしまうリスクは軽減されている。これは紙の事典類にはない利点だ。事実関係が変化した時に直ちに修正されるのも紙の本には真似のできないことだ。

若いクイズ屋にはもう想像しにくいことかもしれないが、まだネットが普及していない頃は、当然ながらネットなんか一切使わずに問題を作成していた。図書館にこもるというのがクイズ屋のお決まりの行動だった。そういえば、図書館内を走り回って必死で問題を作ったという武勇伝を何かで読んだことがある。
裏取りには今では考えられないほど手間がかかった。そして分かったことは、本には誤りが案外多いということだった。事典類ですら誤りが結構あった。
クイズ界、特に長文クイズをする人の間では、ネット以外から、すなわち紙の本からネタを拾って問題を作ることをありがたがる風潮があるが、普通の本のいい加減さはウィキペディアの比ではない。

問題を1問作成する時に参照する複数の資料の中の1つとしてなら、ウィキペディアはかなり優れている部類に入る。書店や図書館にある百科事典と見比べてみたらそれが分かるはずだ。

ウィキペディアの記事は、不特定多数の誰かが書いている割には、日本語のチョイスが的確なものが多いと思う。
クイズの問題を作る時、問題文中に採用するのに最も相応しいフレーズは、ウィキペディアのものである場合が多い。

ウィキペディアの丸写しのクイズ問題を揶揄する人がいるが、その問題を作成した人がウィキペディアだけを参照したとは限らない。いくつもの資料を見て、結果としてウィキペディアの記事を採用したかもしれないではないか。出来上がった問題だけを見て、単なる丸写しだとは判断できないのである。

私はべつにウィキペディアの提灯記事を書いているのではない。
どんな資料にも誤りが含まれている可能性が少しはある。
この本は完璧だからこれ一冊だけから問題を作成しても大丈夫、というような本は存在するか? そこまで言い切れる無謬の本などこの世の中にありはしない。
複数の参照元の一つとしてならウィキペディアは全然悪くない。これが言いたかった事。

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